日本の建築は、戦争をターニングポイントとして従来の形から大きく変化しています。数多くの建物が破壊されたことによって、戦後復興という形で一新されることが増えました。
戦前でも元々主な部分では欧風の要素が取り入れられたものも多かったですが、それが戦後になるとより顕著になります。また戦前に発生した関東大震災の影響が大きかったこともあり、耐震にも力を入れた鉄筋コンクリートの使用が多くなっていきます。
戦前に多かった建築に求められる芸術的な要素は合理性に取って変わられ、機能的に必須と考えられる要素のみを取り入れることがほとんどになります。その結果として現代でよく見られるビル群が並ぶようになり、そこには鉄筋コンクリートの頑強さだけではなく、耐震技術の発展も貢献しています。
それらの建物は効率的かつ安価に建てられるという側面も併せ持っていたため、壊して建て替えるためのリスクやコストが低いという点も特徴です。なので実際に各地では大小を問わずにいくつもの建て直しが行なわれたため、日本には統一感のない街並みが多いです。
また戦争によって壊滅的な状態になったのは住宅も例外ではなく、直後は焼け出された人が数多くいました。そのためまずは彼らが住める建物が早急かつ大量に求められましたので、バラックと呼ばれる仮設住宅の数が多くなります。
そこから数年が経って高度経済成長期に入るとより建築環境は発達しますが、戦前のように木を素材としてふんだんに使うものは少なくなっていきます。それは日本国内で木材が足りなかったのが主な原因で、コンクリードなど科学的な素材が木材にとって代わることになります。
戦前によく見られた日本的な建築は、熟練した職人の技術の上に成り立っていました。しかし機械的かつ効率性を求める建築が主流になったことによって、そのような職人の数は少なくなっていきます。その代わりにある程度の技術があれば扱うことができるツーバイフォーなどの工法が台頭することになります。
日本の住宅の形に似たようなデザインが多いのは、そのような工法によって規格が統一しやすくなったからだと考えられます。ただ現代では気密性の高まりや安全設計によって、戦前と比べると格段に住みやすい環境となっているので、ひとつの完成形に至っているとも言えるでしょう。昭和の時代によくあった住宅に関する問題点も、新しく建てる分ではほとんど見られなくなっています。